『この世のときを』内容と考察 祖国を捨てた老人は、海を前に何を思うのか

小説

みなさんこんにちは!さくらも散り、すっかり春も本番ですね、いかがお過ごしでしょうか。

さて、今回はスウェーデンの国民的作家 Vilhelm Moberg『この世のときを』(原題 “din stund på jorden“, 1963年)を紹介していきます。

日本ではまだ浸透しているとは言えないスウェーデン文学ですが、魅力的な作品が多く眠っているようです!

舞台は1962年の南カリフォルニア、ラグーナビーチと1912年のスウェーデン。ひとことでいえば、スウェーデンからアメリカへ移民し、仕事に追われてきた老人がリタイア後、自分と兄との人生を振り返る物語。

死を前にした老人が、海と街に挟まれたホテルの一室での暮らしで何を思うのか。人生の一回性と死の受容、そしてキリスト教…多くが入り混じって織りなされていく作品です。

海と人間の対比が印象的なこの作品。

スウェーデン語原題 “Din stund på jorden” の意味もあわせて考察していきます。

それでは早速参りましょう!

『この世のときを』の登場人物やあらすじ、内容は?

登場人物

主人公 アルバート・カールソン/「私」

スウェーデン系アメリカ人。64歳。

貧しい農家に生まれます。

1920年、22歳のときにスウェーデンからアメリカへ移民します。

アメリカでいくつかの事業を経て、リタイアし、ラグーナビーチの海と街に挟まれるホテルの小さな部屋で暮らしています。

迫ってくる自分の死に対する不安に追われ、スウェーデンにいたころの1912年を思い出します。その年に、敬愛する兄のシーグフリドが亡くなったのでした。

現在と、「私」の回顧によって物語が進んでいきます。

シーグフリド

「私」の兄。5歳差です。

1912年、19歳で亡くなりました。

賢く、学校では優等生、からだは丈夫で背も高く、弟の面倒もよく見ました。

一度しかない今をしっかり生きるんだと自分と弟に言い聞かせ、楽し気に生きています。

丈夫なからだを評価され、無料で学校に通えるという志願兵として入隊しますが、3年あるはずの教育隊から数か月で帰され、そのまま家で、「私」の前で亡くなります。

イェンセン

デンマーク人の若者。

世界から交通事故で多くの命を奪っている自動車をなくそうと、毎日交差点で叫びます。

ひとびとは彼を頭のおかしい人とみなしイエス=イェンセンと呼びます。

あらすじ、内容

物語は、時系列どおりには描かれません。

「私」が少しずつ過去を思い出し、また知っていくため、それぞれの時間がばらばらの順番で登場します。

兄シーグフリドの死

「私」は、兄がベッドで死ぬ瞬間を目撃します。

「私」と兄は、幼いころ飼っていたウサギが犬に食われてしまいます。そこで彼らは犬を川で殺そうとしますが、思いがけぬ力で抵抗され、失敗します。

さらに、屠殺の手伝い、シギ狩りを経験するうちに、兄シーグフリドは殺すことに猛烈な嫌悪を覚えるようになっていきます。

自分の人生は一度きりで、いまこのとき、この瞬間を生きていることを自覚するよう自分自身と「私」に言い聞かせていたシーグフリド。

そんな彼が志願兵として軍に入り、何が起こったのか。なぜ彼は死なねばならなかったのか。少しずつ明らかになっていきます。

「私」がアメリカで思うこと

兄の死を経て、「私」はキリスト教に疑問を持ちます。

兄を死から救うことができなかったからです。

さらに、熱心なキリスト教徒の母が地獄をあまりにおそれ、生きる喜びを失っていることにも疑問を覚えます。

そして自分の死ぬ番がやって来たとき、彼はその死を恐れます。そして、その怖れから逃れるために、回顧します。

そして、兄の言った通りにこの世のときをしっかりと生きてきたのかと、自問します。

祖国を捨てたこと、仕事ばかりに追われて生きてきたこと、あの日の恋のこと…

自分にはもう祖国と呼べる場所はないが、かといってあのときスウェーデンにとどまっていれば、人生を無駄にしたはずである…

「私」がどのように自分の人生を振り返り、死を受け入れるのか…

『この世のときを』の感想は?どうだった?

ぼく好みの作品でした。

決して劇的な展開があるわけではありませんが、しっとりとした雰囲気で、考えさせてくれる作品です。

人生をは一回きりで、「今」は過ぎたら戻らない。当たり前なのに目をそらしてきたその事実が、ゆっくりと、胸にしみこんできます。

『この世のときを』読んで何を思った?考察は?

テーマは、人生の一回性 “Din stund på jorden” の意味

永遠と生命の象徴として描かれる海に対比され、人間の人生の一回性、そしてそれが一瞬に過ぎていくことが印象的に語られています。

永遠に残る海とは異なり、人生はすぐに過ぎていき、後にはたいして重要なことは残らない。

そのことを理解したとき、「私」は死を受け入れたようにぼくには思えました。

そして、題名の”Din stund på jorden” です。これは邦題のとおり、「(あなたの)この世のときを」の意味です。

これは兄シーグフリドが、今を懸命に生きろと自信と「私」に言い聞かせる場面でも出てくる言葉です。

「今」に焦点を当てて生き、ありのままの自分を認めることこそが、死を受け入れることにつながる重要なことであるというのが、テーマであると感じます。

兄とイェンセン 人間が人間を殺すことへの疑問

兄は、様々な経験から殺すことに疑問を持ちながらも軍に入ります。当然軍では銃を使ってひとを殺す練習をします。

兄はそれに抵抗し、それが死を招きました。

イェンセンは街のひとびとからばかにされながらも、信念を貫いて車の撲滅のために行動を起こし、酷暑の砂漠へと旅立ちます。

このふたりはどちらも、人間が人間を殺す道具を作ってきたことへの疑問を抱いています。

そして、舞台の1962年は、キューバ危機の年。

人間のしてきたことに対する作者Vilhelm Moberg の疑問が、ここに描かれているように思えてなりません。(事実、彼は反ナチス、戦争の作品を残しています)

おわりに

いかがでしたか。

この作品の翻訳はスウェーデン語のスペシャリスト、山下泰文先生です。原典を理解した方の翻訳で、まったく違和感なく読むことができました。

漢字とルビを駆使して日本語にない語彙をうまく取り込んでいます。もっともっと、この作家の本を読みたくなります。

しかし残念なことに、Vilhelm Moberg の作品はこの『この世のときを』しか日本語訳されていないんです…

もっと、スウェーデン語文学が日本へ入ってきてほしいとひとり狭い部屋で思う大学生でした。

代表作の「移民シリーズ」、いつかスウェーデン語で読んでみたいものです。いつになることやら…

さて、『この世のときを』はぼくごときが一度読んだくらいで完全に理解できるような作品ではありません。

それでもこの雰囲気にすっかり酔ってしまえたので、ぜひみなさん読んでみて感想を教えてください。

シェアやコメントお待ちしております!それでは!

冷房が効きすぎたカフェから更新。

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