始めましての方は初めまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。前の投稿からだいぶ経ってしまいました。精進します。
きょう紹介するのはこちら!
スウェーデン人 Elisabeth Norebäck著『私のイサベル』(原題: SÄG ATT DU ÄR MIN)です!
『ミレニアム』シリーズでおなじみのスウェーデンから、驚愕のサスペンス作品がやってきました!!世界35か国で出版が決まっているそうです。
舞台はもちろんスウェーデン。ひとことでいえば、カウンセラーのステラが、20年前に突然行方不明になった当時1歳の娘と再会し、彼女を自分のもとへ取り戻そうとする物語。
読んでいるこちらまで病みそうになる、スウェーデン色の強い作品です。今回も原題の日本語訳とその意味について考察します。要チェックや!!
それでは早速参りましょう!
『私のイサベル』の登場人物やあらすじ、内容は?
この物語は、3人の女性が語り手となって、それぞれの視点からストーリーが語られていきます。
登場人物
主人公① ステラ
語り手となる主人公のひとり。心理カウンセラーです。
20年前、まだティーンエイジャーだったころに娘のアリスを産みます。
当時の恋人ダニエル、アリスと三人でストランドゴーデンへ遊びに行った際、ほんの少し目を離したすきにアリスは行方不明になります。
警察はステラがアリスを殺したことを疑いますが、ステラは否定し、アリスが生きていることをひとり信じ続けていました。
主人公② イサベル
語り手となる主人公のひとり。22歳の女学生です。
大学進学を機にストックホルムで一人暮らしを始めました。
黒い髪をした美人ですが、人間関係が得意ではありません。
5月に父親(血はつながっていない)を亡くし、落ち込んでたためへステラのカウンセラーをうけることになります。
主人公③ シェスティン
語り手となる主人公のひとり。イサベルの母親です。
夫(イサベルの父親)を亡くして以来、どんどん汚くなっていく暗い家で寂しく暮らしています。
猛烈な男嫌いです。
ひとり暮らしに反対するなど、イサベルの私生活にあまりに干渉するため、あまり好かれてはいません。
ヘンリック
ステラの現在の夫です。仕事のできるイケメン。ステラとヘンリックの間に生まれたのが男の子のミロです。小学生。
あらすじ、内容
カウンセラーとして働くステラのもとに、イサベルと名乗る女学生がカウンセリングを受けにやってきます。
ステラは一目見て、彼女の特徴的なえくぼや耳の形から、イサベルが自分の娘のアリスであると確信します。
しかし、イサベルとの出会いから、ステラの身の回りには不可解なことが起こるようになっていきます。
ステラ自身の死亡広告が投函されたり、夫ヘンリックとの仲が悪くなるような電話が入ったり、カウンセリングについて訴えられたり…
ステラはアリスが戻ってきたと信じていますが、当然周りのひとびとは彼女の頭がおかしくなったのだと取り合ってくれません。
誰の協力も得られず、心を病みながらもステラは、イサベルの生い立ちを探ろうとします。
イサベルの母親シェスティンは、自分の娘が洗脳されていると心配し、自分の娘イサベルを守るために自分のもとへイサベルを呼び戻します。
ひとりの女学生イサベルを「娘」として愛するふたりの母親が出会うとき、衝撃の過去が明らかになっていきます…!
『私のイサベル』の感想は?どうだった?
単刀直入に言えば、「しんどい…」です(笑)
特に、主人公ステラが孤立していき、病んでいく姿にはこちらも病まずにいられません。
北欧神話の昔から貫かれる、スウェーデン特有の暗い雰囲気の物語に、スウェーデンを肌で体験させてもらえた気がしています。
読後の満足感はすさまじく、本当に自分がスウェーデンに行ってきたかのような気さえしています。
まあ、スウェーデンへ行ったことはありませんが(笑)
『私のイサベル』読んで何を思った?考察は?
ここからは大いにネタバレを含みます。ご注意ください。

原題 “SÄG ATT DU ÄR MIN” の意味
もちろんこれは、「私のイサベル」なんて意味ではありません!
直訳すれば、「あなたは私のものだといって」になります。
ちなみに邦題の重訳もととなっている英語版でも、同様の意味の “Tell Me You’re Mine” となっているため、日本語に訳される際にこの題名に書き換えられたことがわかります。
原題と作品テーマの考察
さて、ここで問題になるのはこれが誰の台詞であるのか、という点です。
邦題「私のイサベル」ならば、シェスティンの台詞であることは明らかでしょう。ステラにとってイサベルはアリスなのですから。
原題「あなたは私のものだといって」は、ずばり、ステラとシェスティン両方の台詞ではないでしょうか。
ステラもシェスティンも、イサベル(アリス)を愛しています。
そしてここにこそ、この作品の大きなテーマが含まれているように思います。
ふたりとも、ひとりの女性を娘として愛したという点では同じです。イサベルに対して同じ感情を持っているにもかかわらず、全く対照的な愛情表現がなされ、異なる結果をもたらします。
愛するという純粋な感情が、すさまじい悲劇をもたらしうるというところに、この作品の面白みを感じます。
おわりに
いかがでしたか。
サスペンスがすき方には是非読んでほしい作品です。
読後、「いいものを読んだ、面白かった」どころではなく、「いい経験をさせてもらった」と思えるほど、のめりこんで読めました。
35か国で出版されるこの作品。流行に乗り遅れるな!!!
余談 これでいいのか翻訳小説
さて、ここからはほんの内容とは直接関係ありません。
しかし、言わねばならない気がするので書きます。
作品を記述したもとの言語を読めないひとによる翻訳作品が、平気な顔をして出回っている今日の日本、大丈夫なのでしょうか。
今回の『私のイサベル』は、アメリカで出版された英語版からの重訳です。
文学作品は、一度翻訳されるだけでも大きく元の作品と変わったしまうはずです。それが二度も翻訳されてしまえば、元の作品の特徴は大きく失われてしまうことでしょう。
イサベルの母親「シェスティン」も、よりスウェーデン語的に発音すれば「シャシュティン」になりますし、頻繁に登場する「ストランドゴーデン」は “strandgården” で、この語の意味に含まれる「砂浜」「農園、庭」の意味が全く日本語訳に出されていません。
もちろんこれは固有名詞なのでそのままでも問題はないと思いますが、日本語にはルビがあります。漢字とルビを組み合わせれば何とでもできようものを…と思ってしまいます。
例に選んだふたつも、スウェーデン語に対する知識があれば全く難しいことではありません。
日本語が、ほかに同じ語族をもたない言語であることもあり、難しい部分もあるかとは思いますが、作品に敬意を払うという点からも、何とかならないものかと、素朴な大学生はひとり部屋で思うわけです。
長々と書いてきましたが、作品自体は素晴らしく楽しめたのでぜひ読んでみてくださいね!
シェアやコメントお待ちしております!それでは!
コメント