みなさんこんにちは!もうそろそろクリスマス。もういくつ寝るとお正月でしょうか。
さて、きょう扱うのはこちら!
夏目漱石『三四郎』です!!!!!!!活舌の悪い芸人ではないです。
夏目漱石の前期三部作の一作目として知られるこの作品。ひとことで言うと20世紀初頭、それまでの慣習と新しい価値観の間で揺れる若者たちの恋物語です。
初めて読んだのは中学生の時。ヒロインの美禰子さんに翻弄される主人公にイライラするとともに、うらやましい~と思った記憶です。
きょうは美禰子さんに恋をするだけの中学生男子の思考を抜け出し、時代背景も含めて考えていこうと思います。
それでは早速参りましょう!
『三四郎』あらすじ
舞台は20世紀の頭。主人公は九州から出てきた学生の三四郎。東京帝国大学の新入生です。
地域の知り合いの親戚だという理学士の野々宮君、授業で知り合った友人の与次郎。与次郎を泊めている高校教師の広田先生。散歩中に池で出会った美しい女性美禰子、その友人で野々宮君の妹のよし子。
このあたりが主要な登場人物です。
何度か会うたびに美禰子のことしか考えられなくなっていく三四郎。
それに対して美禰子は、なんだか三四郎に対して思わせぶりな態度。決して直接好きとは言わないけれど、気のあるそぶりを見せたり見せなかったりラジバンダリ。
しかしそんな経験のない三四郎は、美禰子が野々宮君に気があるのではないかと疑ってみたり、美禰子が自分を馬鹿にしているだけなのではないかと考えたりします。
ある日ひょんなことから美禰子からお金を借りることになる三四郎。借りたものは返さねばなりません。しかし、返せば美禰子と会う口実がなくなってしまう…
さて、そんなふたりの選択と、待ち受ける運命やいかに…!!!

『三四郎』感想考察
新旧の価値観に挟まれて~自由への憧れ~
中学生のころの小生は、この作品を読んで、禰子さんに恋して振り回されて楽しく本を閉じる、それはそれで大変すばらしい読書経験をしました。
そしてここに大学に入って身に着けた知識が加わって、この作品がもっと素晴らしい経験に変わりました。
この作品で男性たちがたびたび口にする「イプセン風の女性」という言葉。中学生だったころにイプセンなど知る由もなく、少し調べても自然主義がどうのこうのと理解しようとする気も起きませんでした。
しかし、今ならわかるのです。「イプセン風の女性」とは、イプセンの戯曲『人形の家』の主人公ノラや『ヘッダ・ガーブレル』の主人公ヘッダのような女性、つまり、「自分のことを自分で決める女性」という意味でしょう。
20世紀の初頭は、そういった新しい価値観と従来の慣習が混在した時期だったのかもしれません。それがこの小説では、自由な恋愛の末の結婚(新しい価値観)と親が決めてしまう結婚(従来の慣習)という形で表れているように感じます。
結婚を急かされる年齢になった美禰子は、最後のチャンスとして三四郎とほんものの恋をしようと誘うのです。それでもやっぱり完全に因襲から抜け出すこともできない美禰子は、まさか自分から好意を伝えることもできません。
三四郎は三四郎で、好いていながらそんな美禰子の言動の真意を理解することができずに動けなくなってしまいます。
このように、お互いに好き合っている男女が新旧の価値観に挟まれてもがきながら恋愛をしていくこの点に、小説『三四郎』の歯がゆさ、切なさ、甘酸っぱさが詰まっているように感じます。
おわりに
いかがでしたか。
考えてみると、小説のヒロインに恋をしたのはこの美禰子さんが初めてだった気がします。こんな女性と出会ってしまったら、それはもう歪んだ青春を送ること待ったなしですねそれだけ、自分にとっては思い出の作品です。
そんな大切な作品は、新しい知識をもって読んでみるとより面白く、大切な経験をもたらしてくれました。いよいよ学ぶことの喜びと奥深さを感じた次第であります。
さて、みなさんはこの作品をどう読みましたか?ぜひ教えてください!
シェアやコメントお待ちしております!
それでは!
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